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高校進学の仕組みについての考察

 

 最近は娘と一緒に高校進学に向けて一緒に取り組んでおります。いろんな社会制度について考えるのが趣味なので、今回は自分にとってタイムリーな高校受験の仕組みについて考えてみました。

 

 当たり前のこと過ぎて普通の方は疑問にすら思わないかもしれませんが、公立志望校は一校しか受けれないという制度。これがそもそもおかしくありませんか。

 

 ふとそう思って高校進学の制度についていろいろ考え始めると、私が仮説としてもっている「3つの社会の根本原因」がまさに当てはまる事例ではないかと思えてきました。

 

まず3つの根本原因ですが、まとめると以下になります。

  1. 考えない:現行に疑問を持たない。本来こうあるべきだと論理的に考えない。
  2. 変わらない:制度がよくなくても、変わろうとしない。
  3. 外見ない:世界の流れ、標準を理解しない。

ということで、まずは自分になりに疑問を持って考えてみます。

 

まず高校側の望ましいことの仮定としては、より成績のよい学生を集めること(この仮定も本来時代にそぐわないくなっているわけですが)

それでもこの仮定が正しいとしたら、どのような仕組みがいいのでしょうか。単純にゼロベースで考えるてみると以下のようなことが考えつきます。

 

→そもそも県内の公立のテストの内容は同じ

→テストの結果という同じ基準で生徒の学力が測れる

→別に公立志望校は1校に限定しなくてもよい

→高校は志願者の中から、総合評価の高い(テスト+内申)生徒から入学許可すればよい

 

  • 生徒側のメリット:挑戦校にも気軽にチャレンジできる。受からなかったら次の相応の高校に入学する。(現状ではこれができない。不条理すぎますね)
  • 学校側のメリット:より多くの生徒が挑戦校にもチャレンジするので、学力の高い学校は結果的によりよい成績の生徒を受け入れることができる。

「より成績のよい学生を集める」という仮定の達成には、このプロセスのほうがよいのではないのでしょうか。逆にこのプロセスのデメリットは何でしょうか。

  • 生徒側のデメリット:特に生徒側のデメリットはないように思います。
  • 学校側のデメリット:費用が少ない公立に多くの人は志願するので、私立への応募が減る。希望する複数の公立に受からなかった学生が私立に入る。

ということは単純には私立(特徴や人気のない)の応募と生徒が減るということが学校側のデメリットのように思えます。

 

 そして現在この制度が変えられる兆候さえないということは、この現状が許容されていること。そうすると、私立の学生の一定の数と質を担保する。というのが今の高校入学制度の特徴だといえます。

 

 これは、確かに第2次ベビーブーマ世代が経験した、学生の絶対数が多く、公立学校が足りないので、私立学校が必要だったという過去の時代ニーズが色濃く残っているということでしょうか。本当は時代にそぐわない制度があるけれども、それを変えようとしないし、どう変えたらよいかというビジョンがない。なんだそういうことかと自分なりに納得したわけでした。

 

 ここで終わるのも寂しいので、今後日本の進むべき方向性としてしては当然このようになるでしょうか。まあこれぐらいのことを考えてている人がたくさんいるんでしょうけど。

  • 考えない:現行に疑問を持たない。本来こうあるべきだと論理的に考えない。→今の仕組みはおかしい。どんな制度がいいのか論理的に考える。
  • 変わらない:制度がよくなくても、変わろうとしない。→変わる。考えたベストの内容に向けて、少しでも変えていく。
  • 外見ない:世界の流れ、標準を理解しない →外を見る。国際的な教育環境がどうなっているかよく調べて、必要なところを取り入れる。

 というのは日本全体の制度の話しなので、個人レベルとしてはどうでしょうか。

  • 考える →今回のように自分自身で制度を考えてみる。そして自分の子どもにも考えを伝える。
  • 変える →今までのパラダイムを変えて、前のブログで紹介したように、高校の試験は、子どもが「目標に達成に向けて楽しく努力をするというプロセス」を学ぶ機会と捉え一緒に取り組む。
  • 外を見る →以前の教育ガイドラインで紹介したように、国際バカロレアの動向や内容について理解し、その要素を少しでもとりいれてみる。

 ということをやってみています。ともかく国際バカロレアの導入等が起爆剤になって、日本の教育制度がよりよくなることを期待しています。