どんな人?>プロフィール

落合じゅん:プロフィール<詳細>

幼少~中学卒業

 神話で有名な島根県出雲市にて3人兄弟の末っ子として生まれ育ちました。

小さい頃から体を動かすことが好きで、ソフトテニスや水泳、卓球、サッカーをやりました。中学校ではソフトテニス部で汗を流しました。また中学時代から親や兄の影響でいろんな本を読むようになりました。後に留学することになったは、この時期に読んだ本の影響が大きいように思います。

 

出雲高等学校時代

 地元の出雲高等学校に進学し、部活は中学から引き続きソフトテニス部に所属。仲間達と切磋琢磨し、高校3年生のときに地元で開催されたインターハイに団体戦で出場したのは一生の思い出となりました。

 

 スポーツや勉学で忙しい中も、教養のための読書は続けていました。また愛読雑誌は「SAPIO」というちょっと変な(今でもですが)高校生だったかもしれません。教育制度への疑問、国際関係の関心、人生の意味の探求など、この時期に思索したことが、その後の人生に影響を与えることになりました。

 

 英語はずっと独学で学んでいましたが、部活が終わった3年の夏に留学することを決意。

またその後の人生に大きく影響を与えることになるキリスト教にも出会い、12月に洗礼を受けクリスチャンとなりました。

 

 周囲の人とは大きく異なる人生を歩みだしたことに不安を抱きながらも、その不安よりもさらに大きな希望と夢に胸を膨らませた時期でした。

 

 ちなみにグリーン好きは高校から始まり、高校進学時に購入した自転車もグリーン。渡米時に購入したスーツケースもグリーン。それから緑好きは一貫しています。

アメリカ留学

 1996年7月から夢にみたアメリカの留学。行った先はご縁があってアメリカ西部のユタ州。数ヶ月間は語学学校に通い、1997年1月からは晴れてユタ州州立大学に進学ができました。いままで育ってきたのとは全く異なる文化に触れながら、まさに自分が夢見た世界がここにあると感じました。英語での大学生活は大変でしたが、努力してなんとかついていきました。

宣教師としての伝道

 晴れて大学での勉強を始めたわけですが、9月からは末日聖徒イエスキリスト教会の専任宣教師としてサンフランシスコにて2年間のボランティアによる布教活動に従事することになりました。1995年にクリスチャンになり、そしてこの時期までにはキリスト教は自分の心に根ざしたものになりました。その素晴らしさを人々に分かち合いたいという純粋な気持ちでボランティアを始めました。

 

 宣教師の間は非常に厳格なライフスタイル(個人の娯楽なしの生活)で2年間過ごしましたが、人々に奉仕することだけに専念することができた、今思えばとても恵まれた時期でした。幸せの源泉である利他的な行いを通して、自分自身が大きな幸せを経験した時期でした。

 

 またサンフランシスコという非常に多様性のある場所にて、様々な国の様々な考えを持った人達と接するなかで、多様性の大切さも体感しました。また今はほとんどしゃべれないのですが、特に中国人に対しても布教活動をする機会が多くありました。

復学と大学卒業

 2年間の伝道が終わり2000年の1月からユタ州立大学に復学。2年間の大学のブランクはそれなりに大きかったので、一生懸命勉強に励む日々が始まりました。そのお陰で成績もあがり、2001年の大学3年生時に、ユタ州プロボ市にあるブリガムヤング大学の情報処理科に転学し、より良い環境にて学業を続けることができました。留学先のユタ州では学生結婚は一般的であり、私もよい人生のパートナーにめぐりあい2001年8月に結婚しました。

 

 2002年には子供にも恵まれ、学業、バイトなど多忙かつ充実した時期を過ご、無事2003年4月に卒業。小さい頃から抱いていた将来は日本の社会に役に立ちたいという気持ちに従い、日本で就職することを決めました。

 

 1996年から約6年間を過ごしたアメリカ。様々な経験をし成長し、またより広い視野で世の中を見ることができるようになりました。

インテル株式会社

 インテル株式会社のつくば本社での採用が決まり、つくばに住むことになりました。久しぶりの日本での生活を楽しみながら、社会人として新しい生活が始まりました。インテルでは業務執行本部に配属になり、その後約10年間、国内主要PCメーカーのサプライチェーンの業務に携わらせていただきました。

 

 インテルでは大学で学んだ知識や語学能力を活かし、グローバルかつチャレンジングな環境においてバリバリ働かせてもらいました。そんな忙しいを送っていたさ中に、さらなる自分の成長のために通信制のMBAプログラム(Bond-BBT MBA)を2007年に開始し、3年後にMBAを取得しました。その間第2子の誕生、マネージャーへの昇進、教会でのビショップ(牧師のような役割)のとしての奉仕など、忙しくも、充実した日々を送っていました。充実していた日々でしたが、小さい頃から思い描いていた街づくりや行政への参加は遠い世界のように思え、具体的にはないもできませんでした。

 

 そして転機が訪れたのが2013年。インテルとつくば市役所との職員交換プログラムの社内公募に応募し採用され、つくば市市役所に出向することになりました。小さいころからの行政に携わる夢がついに現実のものとなりました。

つくば市役所

 今まで頭に詰め込んできた行政における課題について、まさに自分が当事者となり、市役所の仕事に携わることになりました。配属になったのは広報課のプロモーション係。公務員としての仕事、マーケティング業務、どれをとっても初めてものでしたが、ベストを尽くそうと決め、MBAで学んだマーケティングの知識などを総動員して与えられた職務にチャレンジしました。

 

 行政における仕事の進めかたなど、戸惑うことや壁にもぶつかりながら、自分の影響範囲を少しずつ広げながら、市役所内におけるカイゼン運動、職員勉強会など自主的な取り組みも数多く行いました。

 

 また市役所への出向が始まってから、以前から興味のあった「一新塾」の32期生として入塾し、主体的市民のための行政について仲間達と熱く学び合いました。また一新塾のモットーである現場主義の実践し、つくば市役所を舞台に「2:98は日本をかえるTool Cool場」プロジェクトという、つくば市役所の人事改革にもトライしました。

 

 市役所での日々や、インテル時代と比べても遜色のない忙しさでしたが、職員の方々と一生懸命市民のために働けるというとても幸せな日々でした。またつくばのプロモーションの業務を通して自らのつくばの良さをたくさん発見し、つくばで活躍されている素晴らしい人々とも出会うことができました。

 

 さらには行政の内情の理解を深める中で、以前MBAで学んだポジティブ心理学の行政への応用の重要性に気付き、職員向けセミナーでもこのテーマについて取り上げました。

 

 インテルという外資系から突然きた私に理解を示し、一緒に楽しく仕事をしてくれた多くの職員の仲間や、市役所での仕事を応援してくださった地域の多くの方々には感謝しきれません。またプロモーション係としても、一定の成果をあげることができたのではないかと思っています。

 

 つくば市広報課における具体的な実績についてはこちらから。

転職と現在

 約2年間の出向の期間が終わりインテルに復帰。約2年行政の仕事をした自分は大きく変わっていました。インテルの仕事は社会への貢献度の高い仕事だと誇りをもっていますが、もっと直接人々の幸せに携わる仕事に就きたいと思い転職をすることになりました。自分がより幸せになるキャリアは何か、自分にとっての天職は何かを考えながら転職活動を行いました。

 

 そして現在は末日聖徒イエス・キリスト教会という長年集っている教会の、日本東京管理本部という事務所の資材管理本部にて購買課の業務に従事しています。教会という職場ですので、利益追求ではなく、世の人々のためになることを第一に、日々の仕事をさせていただいています。

 

 昨年発生した常総市における水害では、教会の被災地支援担当窓口として常総市に何度も足を運び、延べ500人のボランティアの派遣をコーディネートをしたり、車両などの寄贈品の手配に携わりました。日常の仕事を通して、社会のために貢献できる環境に感謝しながら、日々仕事をさせていただいています。

 

 またつくば市役所への出向が終わり、職員として行政に直接携わることはできなくなりましたが、市民の立場から街づくりに引き続き貢献したいと思い活動を続けています。以前の自分は街づくりは他人事だと感じ自ら行動することができませんでしたが、今は違います。市民とコラボすることが、生活者主体の行政の道だと信じ活動を続けています。