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大阪北部地震と日本の災害対応最前線

 

 大阪北部地震で被害にあわれた方々へお見舞い申し上げます。

 

 地震発生数日後に現地入りしていましたので、現場の様子や、日本の災害対応についてのコメントです。

 

 7/18月曜日の朝8時前に震度6弱の地震速報を聞いたときは驚愕しました。大都市部における震度6弱規模の大地震は近年発生していなかったので、被害は尋常ではないだろうと思ってしまったからです。非常に心配しながら、オフィスに到着し、NHKのネット速報で状況をずっと見守っていました。人的被害も出てしまい残念でしたが、建物の崩壊や、火災発生は局地的だったため、2次災害による被害の拡大に免れたことに胸をなでおろしました。

 

 仕事でも災害支援に携わっておりますので、このような災害に安全であれば現地入りすることがあります。ということで現地入りのタイミングを見計らい、火曜日には交通網もほぼ全面的に復旧していたので、水曜日に現地入りすることになりました。

 

 水曜日は新幹線で新大阪駅に到着。新大阪駅はすでに通常のオペレーションに戻っており、つい月曜日に大地震があったことをほとんど感じさせない雰囲気でした。その後、車で吹田市や茨木市を見てまわり、事前に連絡を取っていた災害支援団体がすでに現地入りをしている茨木市の社協に行きました。そして到着後すぐに茨木社協に集結していた災害支援団体との打合せに参加することができました。

(6月20日 茨木市社会福祉協議会での災害支援団体の共有会議)

 

 次の日の木曜日は被害の大きかった高槻市をみてまわり、必要な支援物資の確保に奔走。夜には大阪日本赤十字が会場となった「大阪災害支援ネットワーク」の災害時連絡会議に参加してきました。この会議には行政も含む災害支援団体が約40団体集まり、情報の共有と団体間の連携についての話し合いが行われました。実はこの会議がこのタイミングで開かれたことが、日本の災害対応が進化していることの表れなのです。

 

 少し背景を説明すると、東日本大震災の際の災害支援の課題としては、行政、ボランティアセンターを運営する社会福祉協議会(社協)と災害支援団体(企業、NPOなど)との連携が上手になされていなかったということがありました。そのために被災者への支援の偏り、漏れ、むらが生じてしまったと言われています。この反省を踏まえ、JVOADという横の連携を強めるための団体が発足し、熊本地震では、JVOADの調整により行政、社協、災害支援団体が参加する情報共有会議が開催されるという画期的なことが起こりました。縦割り構造で、組織間の連携が苦手な日本社会において、この会議の開催は画期的なことだったのです。

 

 そのような熊本地震の前例も踏まえて、大阪でも地震発生3日後には災害時連絡会議が開かれたのです。そしてその翌日からは、参加した組織が連携しながらの災害支援が始まりました。この事は特に表立ってニュースなどにはなっていない事ですが、非常に重要な出来事だったと個人的には思っています。

(6月21日 第1回「大阪災害支援ネットワーク」の災害時連絡会)

 

 さて私の所属する「ヘルピングハンズ」ではこのような災害時に、参加者を募りボランティアを行っています。今回もすぐに呼びかけが行われ、土曜日に団体でのボランティアを行うことになりました。その調整のために金曜日は茨木社協の運営するボランティアセンターに入り、実際のボランティアに参加してきました。

 

 受けたボランティアの割り当ては茨木市市役所の地下駐車場。受付のテーブルで、訪れた市民に必要な情報を記入してもらい、ブルーシートを渡すという作業でした。受付のプロセスとして、被害の様子の写真を見せていただき、今回の地震に被害の大きさを実感しました。

 

 ブルーシートは数量の関係上、1世帯2枚までしかお渡しできませんでしたが、それでも訪れた多くの市民から感謝されました。被害にあっても、力強く前に進もうと努力されている方々、またお互いに励まし合い助け合っている様に、逆にこちらが力と元気をもらいました。

(6月22日 茨木市市役所にて) 

 

 翌日の土曜日は都内でもともと予定していた仕事があったので、後ろ髪を引かれる思いで土曜の始発で東京に戻りました。実際行うことができたのはわずかなことでしたが、やはり映像越しに見るのと、実際に現場を見るのでは大きな違いがあるのを再確認しました。

 

 復興に向けてはまだまだこれからですが、過去の災害時の対応よりも、多くの団体が効果的に連携して復興支援の活動を行っていくことに希望を感じています。